月に手を伸ばせ

アートとバイク。思ったことを何処かに残したい。

私とエレカシ#18

バンドへの頑なな欲求もすっかり冷めて、

前ほど尖らなくなっていた。

理由の一つは椎名林檎だった。
あんな音楽聞かされて自信なくさない人間いるのかってくらい負けを感じた。
だって、群青日和の音、オープニングからギター一本に彼女の声、そして展開していくバンドすべての演奏が想像を絶する難解な歌詞にのって、やっと始まる鮮やかなベースの展開。
こんなもん作れるわけねーだろって匙を投げてしまった。

椎名林檎の件で落ち込んでいる中、熱を上げられるバンドに一つ出会えた。
音楽界隈の掲示板、いい音楽を探して音を探していた。
映像ファイルで流れてくる動画、行ったことのないロックインジャパンフェスの動画だった。
そこに映っていたのがもう一つの理由銀杏ボーイズだった。(詳細下)

rockinon.com

歌もギターも、正直東京事変とは雲泥の差だった。
だけど、私は峯田の気持ちも思いもキャッチできたし何よりも心が伝わった。
音楽が好きだった。音楽に愛されたかった。愛と魂で生きてる峯田が最高にかっこよく見えた。
私は人間臭く生きたかった。峯田がすごくきらめいて見えた。あぁ、こんな人間味のある人いるだろうか。

別にそんな後ろ向きな話ではなく、音楽は楽しんでやろうとそう決めたのだ。

 

暗黒時代に作ったバンドはもっと大衆よりというか、丸くなっていった。
バンドでの演奏は、GO!GO!7188やTHE NEATBEATSをコピーをしていた。

エレカシを演奏したいという気持ちはあったが、
自分の声は何一つ世界観にあわないから良いボーカルを見つけたいと常々思っていた。

ボーカルを探すために校内で演奏をする回数を増やし、新入部員を増やすためにひたすら明るくふるまう。

もともとそうだ芸術の為なら何でもする奴だった。

友達も増えた。笑うことも増えた。

なんだかそういう自分が、別に嫌いではなかった。


薬の悪夢からも立ち直りつつあった。
父はまた長い単身赴任に行った。
カケルは毎日私にいろんな話をしてくれたし、カズキ君の一家は私を本当に助けてくれた。
そして何よりおばあちゃんが家にいた。
私の側にいてくれた人の中で一番心強かった。

夜が眠れるというのはこんなに幸せなんだとしみじみかみしめていた。
妹と弟を抱きしめながら、幸せを感じていた。

人はなぜ愛を歌にするのか、こんな時人は発する言葉を持ち合わせていないからだと思う。
私の作った曲に言葉が消えた。インストに転向し一人で演奏をするようになった。


サイケデリックは相変わらず私に優しかったが、私はそれよりも映画を作りたかった。
中学2年の2学期半ばに、私は小説を書き始めた。

カケルが私に大騒ぎで花男を送ってきたのは10月に入る手前だったか
「お前がお熱の峯田が俺らのエレカシの歌を歌っている!」
そういって私にアルバムをくれた。

私とカケルの出会いの曲だった。
あんなに泥臭く、人間味あふれる感じで悲しみの果てを聞いたのは初めてだった。

峯田が俺は知らないっていう歌詞を歌うと、生きて欲しい!愛している!というド直球な気持ちがつたわってきた。


もう、エレカシはすごかった。
もちろんほかの曲も聞いたし、全部聞いたうえで多様性に驚いた。
こんなにも歌う人間たちの魂を震わせる楽曲を作れるのか。
歌っている人間たちの人間性や感情を極限に映す鏡のような楽曲だったのかと改めて知った。
私は峯田にお熱だったが、やはりエレカシのその楽曲の深さを再認識した。

自分が歌えない理由もわかったような気がした。
宮本さんがご自身の感情を歌い上げる楽曲であればあるほど、私には人前で歌うことが出来なかった。

臆病で矮小な部分がむき出しになりそうな気がしたから。

カケルにそのことを言うと。
「まだまだ俺らは修業がたらんのだよ。宮本さんのように強い男にならねばならん。だから弱くなりそうなときはお互いに励まし合って、力づけあおうな」
そういって笑った。

励まされてばかりだった。
カケルが、何か辛いことがあったら、自分をなげうってでも助けよう。
そう誓った。